ノーザンライト

 船の揺れは、いよいよ激しく、三千世は思い切って甲板に出ることにした。細く急な階段を、手すりにつかまりながら重い扉を開けて出ると、吹き渡る風が気分を落ち着かせてくれた。しばらくぼんやりしていると、
 「おひとりですか?」と声がした。
 振り返ると、知らない男性が立っていた。
 乗船するとき、いろいろなグループの人々がいたが、高齢の人々の団体がほとんどで、あとは男性のいくつかのグループと、ツアー会社の男性社員と添乗員兼通訳の若い女性、それにまだ何人かツアー客はいたようだった。
 「僕は、函館の昆布屋なんですよ、あっちの昆布を見に行くところでね」 振り向くと、がっちりとした体格の男性が、日焼けした顔でにこやかに言った。
 「親父たちの代までは、あっちで商売していたらしいけど、話しか知らないから。どうなっているのかこの目で見てみようと思ってね」
話しぶりから少なからず高揚した気分が伝わってきた。誰でもいいから、話しかけてみたかったのだろう、三千世は、船酔いで、吐き気をようやく抑えていたのだが、男性の晴れやかな言葉の調子に、ここは我慢することにした。そして焦点の定まらないうつろな目を細め、口角を上げ、意識して笑顔を作り、男性に顔を向けた。彼は、しばらく何か話していたが、「ええ」、「はあ」、と控えめにしか反応しない三千世を話し相手にすることをあきらめたのかそのうちにいなくなった。
波は、いつの間にか荒れるのをやめ、穏やかに光っている。三千世は、気分が徐々にほぐれてきた。甲板の向こうに、人々が増え始め、何やらざわめきとともに歓声の陽気な雰囲気が広がってきたので、三千世もそちらに行くと、右手前方に小さく青い島影のようなものが見えた。

 三千世は、混雑する甲板を降りて船内に戻ると、数人の男性が、熱心に議論するように一つのテーブルを囲んでいた。その横の席に体を休め、深呼吸をしていると、話の内容が入ってきた。どうやら、珍しい蝶を見つけに行くようで、山についての情報や、ルートと日程について、意見を調整しているようだった。期待がいやがうえにも高まり、興奮した雰囲気が三千世にも伝播してくる。きっと、今までは、行きたくてもいけない閉じられた場所だったところに一番に乗り込んで、誰も見たことのない幻の蝶を捕まえるのだという意気込みと熱気に浮かれているようだった。

 チャーター船「サハリン10号」は、大きな鉄の塊のような灰色の船体を、稚内からコルサコフまで三千世を運んでいる。札幌の衣料品会社に勤めてかれこれ10年、ようやくまとまった休暇がとれて、初めての休暇旅行に選んだのがこのサハリン航路だった。ソ連が少し前に崩壊し、サハリンも海外からの観光客に開放されるようになった。これまで、一部の残留邦人が一時帰国を果たし、樺太の元島民などが、すでに何度か訪問していたようだが、やはり客は元島民が多かった。

 三千世は、サハリンとは、縁もゆかりもなかった。地図上のこの島に対する興味もさしてなかった。学生時代、多言語研究会という名のサークルに所属していて、外国語の文法、それも格変化の面白さを知ってからスペイン語、デンマーク語、など文法の規則を調べることが唯一の趣味となった。とはいえ、話すことは全くできず、ただただ語尾が変化することに、面白さを感じるだけであった。その中でも、ロシア語は印象深く、いつかまたと思いつつも、仕事に忙殺されてすっかりご無沙汰になっていた。それが札幌に勤めを移して、北国の街並みに触発されてか、再び学習をやり始めた。大学の講師をしているというロシア人のG先生が自宅で教室を開いていて、月に2回ほど通っていた。会社は、残業が多く三千世の出席率は悪い方だったが、何度か教室で出会った少し年若の井上さんという女性が、上手にロシア語を話した。このサハリンのチャーター便が出るのを彼女から聞いたのだ。休暇旅行の行き先に北国もいいかな、とすぐに決め、問い合わせると、まだ空きがあったのですんなり予約した。三十代の最後の夏の思い出になんだかふさわしい場所のように思えた。

 「あのう、もしよろしければ、写真を撮っていただけません?」
初老の男性が、カメラを差し出してきた。どうやら夫婦らしく船内での記念撮影を頼んできたのだ。
 「ええ、はい」と反射的に返事をして、カメラを受け取ったのだが、すぐに困ってしまった。立ち上がるとまだ体がふらつき、船の揺れも重なって安定しない、もたもたしているうちに、控えめながら写真についての注文も次々と出てきて、シャッターを押して、カメラを返すときには、「すみません」と言っていた。「ありがとう」と小さく言って帰っていく夫婦の後姿を改めて見て、三千世なんかの給料では一生手の届きそうもないブランド品で身を固めていることを知った。そういえば、いつも以上に戸惑を感じたのは、見るからに高級そうなカメラを手渡された時から始まっていたのかもしれなかった。

 札幌に出てきたのは、十年ほど前、三十歳になるのを一つの契機として独り暮らしをするためだった。当時の三千世には思いを寄せる人がいたが、その思いは言葉にすることもなく、彼が結婚するという風の便りによって終わっていた。今は、母だけが暮らすその家に帰らなくなって久しい。街の中心部にあるアパートと、歩いて15分ほどの所にある会社を往復する毎日である。街路樹が四季折々に美しいので、通勤は、楽しい。特に待ちわびた春から初夏にかけては、毎朝、木々の間から聞こえてくる小鳥たちのささやきに、心が得も言われぬ喜びに震える。帰宅が夜遅くなって、ゆったりと歩くと、少し古めかしい街灯に照らされた暗い梢のやさしい香に心和んだ。初雪のころ、赤いナナカマドの実に真っ白な雪が積もる。吹雪の夜は、すっかり葉を落とした街路樹たちが、三千世を凶暴な冷気からかばってくれるのだった。

 船は、あっさりとコルサコフに着いた。手続きを終え下船した時、ふと痩せたロシア人らしい青年が誰かを待っているように、船を見てたたずんでいるのが見えた。三千世は、後ろを振り返って、自分が下船する最後の客だと確認してから、その青年の方をちらっと見た、がまだ人待ち顔でたたずんでいた。がらんとした大きな建物の中に入ると、旅行会社の黒田さんが、これからの日程を話していた。
 「これから少し移動していただいて、カニを食べます。カニのステーキを食べ放題でご用意しています」と、得意げに言うと、ワーッと歓声が上がって、拍手まで沸き起こった。
そばにいた初老の婦人が、三千世に話しかけた。
 「私は、子供のころここ大泊にいてね、なつかしいの。あなたは?」
 「私は、初めてきました。休暇で」
 「だれかお知り合いの方でもいらっしゃるのかしら?」
 「いえ、だれも。観光旅行なので」
その時、前方で黒田さんが、一人の青年を現地での通訳だと紹介した。キムさんというその若者は、遠慮がちに軽く会釈をして「よろしく」と笑顔で言った。その時、私の後ろの方で
 「もしもし、・・・」という声がした。
三千世は、声のする方に顔を向けると、先ほどのロシア青年が、「私は、日本語を勉強しています。名前は、セルゲイと言います。少しあなたとお話をしたいです・・・」やや早口に小声で言った。ざわついた会場で聞こえにくかった。
 「ええ?私と、ですか?いいですけど、・・・私は、大内三千世と言います、どんなお話でしょうか」
三千世も、小声で言うと、セルゲイと名乗る青年は、顔を少し赤らめてうつむいた。
セルゲイの日本語は、かなりたどたどしく、声も小さくよく聞き取れないので、知っているロシア語で三千世が返すと、
 「ロシア語が分かるのですか」と初めて笑顔になった。三千世も、ロシア語を話す自分に驚き、緊張しながらも勇気が出て、セルゲイとロシア語交じりの日本語で話していると、先ほどの隣に立っていた老婦人が怪訝な顔を向けて、
 「あら、ロシア語おできになるのね」と割って入った。
三千世は、「いいえ、ほんの少し、いえ、話すことはまるでできないのですが・・・」と、慌てて打ち消そうとしたとき、バスが到着したことを告げるアナウンスがあり、会話から逃れることができ、ほっとした。

 カニのレストランは、バスですぐの所にあった。レストランらしくない殺風景な建物の中に入ると、グリル用の網がいくつもあり、調理台のようなテーブルごとに、大きな太いカニの脚がきれいにカットされて積み上げられている。ロシア人の店員らしい女性たちが、白衣のような装束に白い小さな帽子をかぶって、黙々とカニの脚肉を焼いている。いらっしゃいの声もなく、愛想を振りまく気配は全くない。
旅行客は、我勝ちに席に着くと、ちょっとした丸太のような大きなカニの脚肉ステーキにかぶりついた。
三千世は、席を決めかねていた。なんとなくグループごとに集まってカニを取り分けているようで、気おくれがしたのだ。
 「僕は、あそこのテーブルに行くので、あなたもどうですか」
と、通訳のキムさんに促されて、窓辺のなんとなくカニから遠そうな場所へ行った。
三千世は、助かった、と思った。グループで行動するのは、小さいころからどうも苦手だった。ほかの人の思いが計り知れず、どうすればいいのか見当もつかず、黙って立ち尽くすしかなくなる。そのうちに気が付けば、一人取り残されているのだった。
キムさんが、カニのステーキを、持ってきた。
 「これだけしかなくて、ごめんなさい。これでもやっと奪ってきたんです」
と笑いながら大きなお皿にのっている二本のカニ脚肉を見せた。
カニは、一口食べるとおいしかったが、三千世の知っている種類のカニの味と違っていた。
 「このカニは、なんというの」
 「カニの種類ですか? 僕もわかりません、なんでしょうね」
そんな話をしながら一本をやっと食べ終えるころ、会社の黒田さんが、通訳の下野さんとやってきて、空いている椅子に荷物一切を、がさっと置いて、私たちに向かって言った。
 「なんだ、こんなところでこっそりと、景気悪いな、もっとジャンジャン食べてくださいよ、今、持ってくるように言って来るから」
他のスタッフの人たちなのか、次々にこのテーブルに集まってきて、白衣の女性が、両手に山のようなカニのステーキを運んできた。宴が始まりそうなので、三千世は、そっと席を立ち外に出た。

 窓からは見えなかったが、小高い丘の向こうに海が広がっていた。細い道が一本、海へといざなっているように思えた。三千世は、歩き出した。浜辺に近づくと、少し沖に、すっかり錆で覆われた巨大な船の残骸が、一つ二つと放置されているのが見えた。さらに浜辺に沿って歩いていくと、何やら砂浜にうごめいている。近づいてみると、毛ガニのようなカニがほとんど浜を埋め尽くさんばかりに動いていた。波が寄せて、カニを運び、また波が、海に引きずり込む、人は誰もおらず、付近に家もなく、ひっそりとしている。浜には、夏の午後の少し傾いた、刺すような光が降り注いでいる。三千世の心にも熱い何かが押し寄せてきて、そのまま座り込んでしまった。打ち捨てられた錆の残骸とあふれんばかりの命の躍動、それを、夏の鋭い太陽光線と暗く荒い波が、もてあそんでいるようにも、抱きしめているようにも見えた。

 「あのう」丘の方から声が聞こえた。「バスが、出るのでそろそろ戻りましょう」キムさんだった。
三千世は、一人きりだと思っていたが、ずっと見られていたのかな、と思って、きまり悪かった。

 ユジノサハリンスクのホテルに着くと、もうあたりは薄暗かった。部屋は、二階にあり、二つのベッドが、それぞれに壁際に置かれ、通りに面した窓が一つあるだけの殺風景な部屋だった。
トイレは、隣の部屋との共用らしく、いったん部屋を出て真向かいにある。 三千世は荷物を、ドアに近いベッドの横に置いて座った。疲れていた。薄暗い部屋で、ほっとしたのもつかの間、ベッドの白いシーツの上を何かが走っている。黒い小さな虫が、何匹も、よく見るとあちらこちらと走り回っている。
 「キャッ」思わず叫んで飛び上がったとき、下野さんが部屋に入ってきた。まだ二十代前半の通訳で、東京からやってきているとのことだった。
 「どうしたのですか」入るなり、短い悲鳴を聞いて下野さんは聞いた。
 「虫が、いる」
 「ああ、それ、ゴキブリです。こっちのは、こんなに小さいのですよ、でも無害ですから」とこともなげに言い、もう一つのベッドの方に行き、荷物を置いた。
 「大内さんは、私との相部屋です。よろしく。それはそうとゴキブリより、蚊の方が厄介ですから、こちらの蚊は、日本より何倍も強烈ですよ」と言いながら、荷物の整理をしてさっさと出ていった。
虫よけのスプレーも、蚊取り線香も持って来ていなかった。三千世は、虫対策用グッズが何かあるかと思い、階下のフロントへ降りて行った。フロントには、だれもいなく、しばらく待っていても誰も来なかった。ダイニングルームの方から、食器の音と人々のざわめきが聞こえてきたので、もうすぐ夕食であることが分かった。

 夕食は、にぎやかだった。黒いパン、スープ、牛肉の煮込みなど、量は多かったが、どれも食べ慣れていないせいか、ほとんど手が伸びなかった。話す人もなく、食べたいものもなく、所在無げにしていると、舞台上に一人の黒い服を着たロシア人らしい老人が現われ、アコーディオンを弾き始めた。哀愁を帯びた調子で静かに始まり、次第にテンポを上げていく。知らない曲だが、音色とメロディーは、美しく心にしみいった。ただ残念なことに、人々の騒々しさにほとんどかき消されてしまい、よく聞こえないので、三千世は、そっと舞台の一番前のテーブルまで移動した。そのころ人々は、自分の席を離れ、歩き回り、お酒が入っているためか、大声で笑い、騒々しくはしゃいでいた。近くから見ると、楽器はアコーディオンではなく、アコーディオンに似ているが、鍵盤がなく、代わりにたくさんの小さなボタンが左右両方についていた。老楽士の両手の指という指が無数にあると思われる小さな白いボタンの上を目にもとまらぬ速さで、這いまわる。老楽士は、一心に楽曲と向き合っている、そしてその演奏は、本当に素晴らしかった、が、三千世以外におそらく誰も聞いていなかった。どんどんテンポを上げて、老楽士は、汗ばみ、髪を振り乱して忘我の境地になって行く。ダイニングは、いつまでも騒がしく、三千世は少し静かにしてほしいと願ったが、あきらめて、舞台の老楽士と自分だけの世界を切り取ることにした。この辺境のサハリン島で、こんなにも素晴らしい演奏を聴くことができるとは思っていなかったので、幸運に感謝した。演奏に感動し、ありがたく思った。演奏が終わると、汗びっしょりの彼は、放心したように座ったまま、一瞬三千世の方に目をやったように感じた。三千世は、我に返り、立ち上がって、思い切り拍手した、遅れを取り戻すように思いっきり拍手して感動を表した。彼は、おもむろに立ち上がると、自分で椅子をもって、無言で舞台から去っていった。

 翌朝、玄関ホールの椅子には、当地在留の日本の人たちがやってきて、元島民の人たちとにぎやかに話をしていた。日本語を話すのが楽しいらしかった。三千世も話しかけられ、観光旅行だと言うと珍しがられ、しばし談笑した。それからユジノサハリンスク観光にみんな一緒に出かけた。大きく広いメインストリート沿いには、ロシア風の明るい色の堂々とした建物が並ぶ。行きかう人々は、みなどこかへ急いでいるように日本人旅行者に無表情な顔を向けた。そうかと思うと、日本時代の少し和風の立派な建物が、今は博物館となり、長い不在をいたわるように日本人を出迎えてくれる。また、すっかり廃虚のようになっている日本統治時代の大きな工場などが、時が止まったようにあちこちの横町で姿を現すのだった。ポプラや、白樺、アカシア、柳にナナカマド、それにグズベリーなど灌木も、木々道端に咲く草花もどれも北海道と同じだった。

 ホテルに戻ると、三千世はフロントに行った。受付の女性に、たどたどしくロシア語で声をかけた。彼女は、何かしきりに書いているようで、顔を上げない。再び、少し大きな声を出して言ってみたが、対応してくれず、相変わらず何か書いている。私の言葉は、やっぱり通じないと、あきらめかけて行こうとした時、後ろからロシア語が聞こえて、だれかフロントに近づいてきた。振り向いてみるとセルゲイだった。
三千世は、驚いた。コルサコフの船着き場にいたのに、どうしてここにいるのかわからなかった。セルゲイは、たどたどしい日本語と手ぶりで、三千世にフロントに来た用事を聞いているようだった。
三千世も、部屋のゴキブリや蚊のことを伝えようとしたが、うまく言えない。二人がずっとフロントの前で意思疎通に四苦八苦している間、フロント嬢は、一度も顔を上げなかった。やがて殺虫剤はあきらめて散歩に出ることにした。ホテルの周りをほぼ無言で歩いた。三千世は、疲れて空腹だった。朝食に出た白い粥状のものは、甘すぎて食べられず、積み上げられたままの黒パンは、すっかり干からびて噛むと、段ボールを食べている感じがした。思えば、カニの脚一本以外まともに食べていなかった。少し遅れてついてきたセルゲイは、時折、あれが薬局で、こっちの大きな建物はサウナ、土産物屋、とガイドしてくれるのだが、三千世が探しているのはレストランか食料品店、なのに、何も見当たらなかった。喉が渇く、とにかく頭上から射るように降ってくる太陽光線が、熱く痛い。散歩に出たことを後悔しかけた時、はるか遠くに、行列が見えた。近づくと、出店のような小さな建物で、食べ物のいいにおいがする。三千世は、行列に並ぶことにした。後ろを振り返って、なんでもいいので買いたいと言うと、セルゲイは、並んでいる人に何を売っているのか聞いてくれた。
「ピンセ」と言う。何かわからないまま、順番が来て、手渡してもらうと薄い紙を通して揚げ油が手にしみて、危うくやけどしそうになった。それと同時に油がぽたぽた滴り落ちて服を汚しそうになる。三千世は、慌ててセルゲイにピンセを預けて、バッグからティッシュを取り出し、それぞれにぐるぐる巻いて、おもむろに食べ始めた。何か容器をもって来る必要があったようだ。形は違っているが、揚げ餃子のような味がして、おいしかった。少し元気を取り戻し歩き続けると、また大きな行列を発見した。何を売っているのかわからないが、とりあえず並ぶ。タンクを積んだトラックが止まっている。長い行列の先を見ると、女性が一人椅子に腰かけ、コップに何か液体を注いで人々に渡している。セルゲイは「クワス」と言った。順番が来ると、コップは大きいほうか小さいほうか、尋ねられているようなので、小さいほうを指し示した。小さいといっても中ジョッキほどの大きさで、飲み終えた人から台に戻していき、女性が、台の上にある水がショボショボ出ている蛇口の下にコップを手繰り寄せ、一瞬、申し訳程度に水にくぐらせて、次の人用にクワスを注いで渡している。三千世は、洗浄不足に少し嫌な感じがしたが、ずっしりと重いコップを受け取り、おずおずと口をつけると、麦の香りがしてなかなかおいしかった。ソ連のコーラ、と聞いたことがあったが、色も味も全く違っていた。クワスは、人々の間で人気があり、販売の車が来ることを心待ちにしているようだった。

 夕闇が迫っていることに気づき、ホテルに戻ろうと歩き出すと、すぐ橋に差し掛かった。川の方をふと見ると、男の人が川の中で腰くらいまで浸かっているのが見えた。
 「そんなところで何をしているのですか」と三千世が、ロシア語を頭の中で作文しながら、大声で言ってみたが、応答はない。聞こえないのか、もう一度言ってみようとした時、後ろにいたセルゲイが、大声でその人に呼びかけた。しばらく問答が続いた後、彼は、三千世に向き直ってたどたどしい日本語で説明を始めた。三千世は、セルゲイに対してなんだかわからないが、苛立ちのようなものを感じていたけど、親切そうでもあるので、彼に対する何かもやもやした気持ちをはっきり言えずにいた。そしてそばにいるのでつい頼ってしまう自分も不甲斐なかった。
セルゲイは、日本語で一生懸命に話そうとするのだが、あまり何を言っているのかわからない。三千世のロシア語と、あんまり変わらないほどかもしれないが、違うのは、三千世のように、話すことを、すぐにあきらめないことだった。聞いていてイライラすることもたびたびあるが、三千世も、ロシア語で話しかけた誰かをイライラさせているのだろうと自戒して、彼の言うことが分かるまで付き合うことにした。
川の中の男性は、付近の住人で、大雨のせいで上流から流されてきた木々が、増水した川をせき止め、ここで橋に圧力をかけている、このままでは橋が壊れそうなので、一人で川に入って流木を一つ一つ手で取り除いているとのことだった。川岸で見ている人たちが、木々を川から上げるのを手伝おうとしていたが、ほとんど、男性の孤軍奮闘のように見えた。
 「危険だから、役所か、どこかに連絡した方がいいのでは?」と三千世がセルゲイに言うと、
 「ダメです。当局は、何もしません、受付に、人は、いつも、いない」と言って笑った。
それから、ここは日本ではなくロシアで、今でもここサハリンは、ソヴィエトのままで、何にも変わらない、というようなことをロシア語で何度も三千世に話した。三千世は聞いているうちに、セルゲイに対してとっていたかたくなな態度に気づき、少し反省して笑顔を返した。
セルゲイは、日本に興味を持ち、独力で勉強した日本語を試したくて、話に付き合ってくれそうな日本人を探していたのだと、三千世は、了解した。日本から、やってくる日本人と異質な文化に触れたくて船が来るのを待っていたのだと思った。

 夕食時に、下野さんが三千世のテーブルにやってきた。明日の予定について、少し北の方にあるドリンスクという町へ行く車に空きがあるので、行かないかということだった。オプションだが、無料だという。もともと何も予定などない三千世は行くことにした。 「それから、あの男の子は大内さんのお知り合い?」
 「男の子って、誰のことでしょう」
 「栗毛のひょろっとしたロシア人」
 「ああ、セルゲイのこと、いいえ、知り合いではなく、こちらに来て話しかけられたのです。彼がどうかしたのですか」
 「まあ、いいのですが、・・・こちらではあんまり知らない人と関わらない方がいいと思います・・・、それから、私の部屋がようやくとれたので、今晩からそちらに移ります。お互いによかったですね。窮屈な思いをさせてしまってすいませんでした、では」と言うと、その場からいなくなった。三千世は、下野さんがセルゲイのことを言いかけてやめたのが気になった。そういえば、セルゲイについて、どこに住んでいて、年はいくつなのか何も知らない、下野さんは男の子と言ったが、三千世には、どう見ても大人に見えた。
舞台上では、昨日のような演奏はなく、人々は食事を済ますと各自早々と部屋に引き上げた。下野さんに、昨夜、見たアコーディオンに似た楽器の名前を聞けばよかった、と思いながら、三千世は、ゆっくりと魚のスープをもう一口だけ飲んだ。

 朝から、もう暑かった。ドリンスクへ行く道は、デコボコの段差だらけで、同行の、昔ここ落合に住んでいたという老人が、「道路がこんなになるのは、冬に凍るのを勘定に入れて深く掘らないといけないのに、こっちの連中ときたら、本当に何にも知らないのだから。こんなの舗装道路と言えないよ、まったく。北海道の道路を見せてやりたいよ」と、ひどく揺れる車内で忌々しそうに、誰に言うともなしにつぶやいた。
道路は、次第に砂利道になり、道端の伸び放題の草木は、砂ぼこりをかぶって白くなっている。車が、落合の町に着くと、元落合住民の小さな群れは、半ば走り出すように一方向に動き出したので、三千世も後を追った。白いほこりをかぶったような道が一本どこまでも伸びていて、その両側に木造のバラックが立ち並ぶ。どの家も、どこかロシア風の意匠が施されて、木の柵で囲まれた小さな庭がついている。暑いからか、それともほかの理由からかわからないが、人々の姿はなかった。
三千世は、懐かしかった。日本の田舎町で育ったのだが、戦後の住宅不足対策として、全国あちこちに、にわか仕立ての公営住宅が建てられた。三千世の家はそのうちの一軒で、木造平家、木の柵を巡らした小さな庭がついていた。舗装されていない道、道に沿ってドブと呼ばれる溝があり、夏はボウフラの培養器になり、よく太ったドブネズミが走っていた。貧しく慎ましい生活、高度成長を経て、今や日本の道路は、ことごとく舗装されて、バラックは取り壊されビルが立ち並ぶ近代都市に姿を変えたが、ここサハリンの落合に、三千世の子供のころの風景がそっくりそのままあった。あの頃、子だくさんの家々、庭いっぱいにはためく洗濯物と、思い思いの花を植えた小さな花壇、野良犬か飼い犬かわからない、汚れていじけた犬たち、家並みで挟まれた通りで子供たちは、みんな元気に育っていた。自動車は、めったに通らないが、通った後は草も木も、子供もみんな砂をかぶって真っ白になった。

 今、三千世は北国の見知らぬ町に立っている。子供の姿はなく、家々から毎日繰りだされる喧騒もなく、少しのロシア風を無視すれば、基本的なものは同じだ。三千世は子供時代に戻った。駅の方から、坂道を降りてくる母を待っていた。街灯がともるころには、子供たちは、家々に吸い込まれるように通りからいなくなる。家々から漂う夕餉の匂いとともに、楽しげな団らんの声が聞こえる。三千世は、家に入らないで、いつまでも母の帰りを待った。母の姿が見えると、それまでの寂しさが嘘のように消えて、安堵の吐息をそっとついた。母は、いつも忙しく、疲れていたので、三千世は、困らせないようにおとなしくしなければならないと思っていた。わがままを言っても母はきっと叱りはしないのだろうが、三千世が、いやだった。夕方の涙は、隠さなければならなかった。母と二人の生活は、バラックが高層の集合住宅に建て替えることが決まるまで、続いた。そのころは、すっかり老朽化して、ほとんどの家族は、新しく自分たちの住宅を手に入れて次々に出ていったので、残されたのはあと数軒というありさまだった。三千世が大学を卒業して働きだすと、母とともに勤務先に近いアパートに引っ越したが、本音は、なによりも、この住宅地を出ていく最後の家族になりたくなかったのだ。

 サハリンの白い光は、まぶしく熱い。三千世の目に、一軒の家の前にうずくまる幼い少女が見えた気がした。三千世は、しゃがみ込み目を閉じて、その子を優しくそっと抱きしめた。白い陽炎が二人を包んで、二つの心がほころんで行くのが分かった。大人になった三千世が、幼い三千世を抱きしめている。長い間これが欲しかったと思った。そうして三千世は、はたと気がついた、いつも寡黙で険しい顔をしていた母は、今の三千世よりもずっと若かったはず、と。
 「おかあさん、ごめんね」
三千世は小さくつぶやくと、我に返り立ち上がり、あたりを見回すと誰もいない。道の先に小高い丘があり、人々の姿が見えたので、急いだ。丘の上に登ると、意外なことにそこは広い墓地だった、とはいえ日本人の墓標は見当たらず、ロシア人の墓地のようだった。人々がどうしてこの墓地に来たのか、わからないが、三千世は、先ほどから悪臭が漂っているのに気づき、そばにいる老婦人に言うと
 「そうね、臭いわ、何の匂いかしら。ここは土葬だからかしら、ここに真新しいお墓があるでしょう、これじゃないの」
老婦人は、隣にいる夫とみられる人に、
 「ひどく匂うけど、これって土葬だからよね」と同意を求めた。夫とみられる老人は、
 「いや、土葬はこんな匂いはしないよ、ほら見てごらん」と言って、遠くの谷間にある煙突から立ち上る濛々とした煙を指し示した。
大きな黒ずんだ古い工場には何本も高い煙突が立ち、そこから白い煙を勢いよく吐き出していた。
 「王子製紙の工場が、子供のころからあったけど、いやあ、立派な工場だった。しかし今でもまだ操業しているとは、驚いたな、何年になるのだろう。昔は、こんなにおいには気づかなかったな」と懐かしそうだった。三千世は、悪臭が嫌で、墓地の丘から急いで離れた。
三千世が、車の方へ行くと、そばの木陰で運転手が横になって休んでいた。三千世に気づき、彼は体を起こして座った。木陰に入るととても涼しかった。名前を聞くと、ワロージャと答えた。彼は、少し三千世に向き直って、何かゆっくりと語り始めた。三千世は、ほとんどわからなかったが、聞くともなしに聞いていた。ワロージャの話は、一人語りのようで、三千世に何の反応も求めなかった。言っていることは、主に、妻との生活、健康の事など他愛もない私事のようだったが、その話しぶりから、彼がすっかり生活に自足していること、が伝わってきた。
木陰と日向、涼しい風が吹く場所と熱光線に射抜かれるような場所が、はっきりとした境界をもって隣り合う。日本の本州では、暑さは、いたるところにあり、いつでもどこにいても、暑い季節は、空気全体が暑い。札幌に来て、この北国の感じを少し感じていたのだが、ここは、より際立った対照を見せている。三千世は、立ち上がって木陰の際を歩き、時折日向に出るという動作を面白半分に繰り返した。ワロージャは、話をやめ、三千世が何をしているのかわかっていることを伝えようと、何度もうなずいて見せた。

 昼食のため、食堂に入った。ワロージャが店の人に何か告げて、店から出ていった。みんなは、出された牛肉の煮込み、パン、アイスクリームなどを食べたが、三千世は、気になって店の外に出て、ワロージャを目で探すと、店から離れたところにある大きな木のベンチに横たわっていた。三千世は、ワロージャの所に行き、一緒に食事をしましょうと、言った。朝早くから、ずっと飲まず食わずなのを知っていたからだ。ワロージャは、お腹がすいていないからいらないと断った。飲み物だけでも、と三千世がなおも言うと、昼食はいつも食べないのだと、付け加えた。三千世は、席に戻って食べ始めたが、料理の中に珍しくキュウリのようなものがあるのに見て、一口かじると、味に覚えがあった。子供のころ、母は、ぬか漬けを作っていた。その樽にはいつも取り出すのを忘れて樽の底に沈んでいる漬かりすぎのキュウリがあった。キュウリの古漬けは、酸っぱくなりすぎて、子供の三千世は、嫌いだったが、それと同じ味がした。口中に懐かしさが染みわたった。ここサハリンで、ぬか漬けがあるのだろうか、三千世は、給仕をしている女性にキュウリを指さして聞いてみると、ついてくるようにと手招きした。ついていくと、棚に大きなガラス瓶がいくつも並び、中にジャンボに育った茶色いキュウリの輪切りが、液体に浸かってびっしりと入っていた。ぬか漬けではなく、何かピクルスのようだった。すっかり忘れていた母との記憶にまた出会った。
三千世は、キュウリのお代わりをお願いすると、給仕の女性は、金歯を見せて笑い、大量のキュウリを持ってきてくれた。

 次の日の朝、ホテルのロビーでキムさんを見かけたので、牛乳や朝食用の食べ物を買いたいというと、厨房の女性に話をして、瓶を貰ってきてくれた。
 「これをもって、市場に行けば買えます」と言って市場への道順を教えてくれた。
市場に着くと、門前に、たくさんのアジア人女性たちが、ワラビやフキなどの山菜を並べて売っていて、意外だった。建物に入ると、正面の一段高いところで一人のロシア人女性が、牛乳を容器に注いでいた。牛乳を買いたい人たちは、長い行列を作り、各自思い思いの瓶を持参している。静かに順番を待って、容器に牛乳を入れてもらった後は、別の女性が座る机の方へ行き、お金を支払っていた。もう少しで三千世の順番になるという時、十代の少女がおずおずと高い台の上に瓶を置こうとしたが、少し位置が手前すぎたのか、女性が、瓶をつかみドンと音を立てるように荒っぽく置き直した。すると瓶は、その場で粉々に割れてしまった。女性は、何事もなかったかのように、ガラスのかけらを払い落とすと、無言で次の人、と言うように顎を上げた。瓶を割られた少女は、泣きそうに顔をゆがめ無言で走り去った。人々は、何も言わず静かに並び続ける。静かな行列の意味が分かったような気がした。牛乳を買うために朝から行列に並び、それを楽しみに待っている家族に牛乳を持って帰れなかった少女のことに思いをはせて、茫然としている三千世に順番がやってきた。緊張からか、もたもたして瓶を台の上に置けないでいると、台の上から手が伸びて、三千世の瓶を取り牛乳を注ぐと支払いの机の方を指さした。支払いに行くと、金額を言って数字を見せてくれたが、いくらか分からず、財布を渡してとってもらうことにした。市場から早く出たかった。牛乳を抱えてゆっくりと歩くのだが、蓋もなく歩くたびにこぼれるので一苦労だった。
やっとのことで、ホテルに戻りダイニングに入って、牛乳をコップにつぎ分けると、日本の人たちが集まってきて、欲しい人にあげた。牛乳は、ぬるくなっていたがおいしかった。

 部屋で、休んでいると、にわかに階下が騒がしくなって、降りていくとフロントの付近で多くの人々が何やら言っている。そのうちの一人が、「日本人のかたですよね」と日本語で話しかけてきた。話を聞くと、どうやら日本と外国、特に、ヨーロッパの新聞記者の人たちが、長い間の中国取材を終え、ホルムスクからここユジノサハリンスクにやってきたようだった。部屋をとりたいのに受付に人がいないので、どうしようもないと、ぼやきながらも一仕事終えて、どこか安堵したような気楽さがあった。三千世は中国で何があったのか、聞いてみたが、答えはなく、三千世が、普通の旅行客だとわかると、記者はどこかに行ってしまった。
しばらく部屋で休んでから、三千世は、ショッピングをするために街に出た。デパートが一つあり、何か記念になるものを買おうと、入ることにした。おもちゃや、文房具、日用品に見るものはなく、二階に上がって、婦人服を見ると、同じ色、同じ柄で同じデザインの服が、サイズ違いでごく小さいものから、どんな巨漢でも間に合うほどの大きなサイズまで見事にそろっていた。子供から、お母さん、おばあさんまで一家で同じ服を着ることができる、と感心した。おまけに服の種類は、非常に少なく、三千世は、ソ連の女性たちに同情した。さらに長靴はなおのこと、黒一色で、全く同じデザイン、同じ材質で、歩き始めの幼児から、およそ人類でこんなに大きな足の人はいないのではないか、と思うほど巨大なサイズまで嫌味なまでにそろっていた。長靴は、黒色だけでそれ以外の色はなかった。三千世は、計画経済という言葉は知っていたが、なんだか納得できたように思った。店に物が売りだされる時に、行列してでも買いに行くのが基本であり、買いたいときに店に行くのに馴染んでいないのか、それとも品ぞろえの問題なのか、デパートには、ほとんど買い物客がいなかった。

 その夜、隣室が騒がしく、よく眠れなかった。トイレを共同使用する面々は、どうやらイタリア人記者たちのようで、ドアを開けると、鉢合わせをすることも何度かありどうも勝手が違った。おまけに、網戸のない窓を閉めていられないほどの蒸し暑さに、窓を開けたままにしたので、蚊に数か所刺され、下野さんの警告を思い知った。 翌日、朝から雨が降っている。階下に降りていくと、セルゲイが、花束をもって三千世を待っていた。下野さんのセルゲイに警戒するようにといったニュアンスの言葉が、瞬間頭をよぎったが、三千世は、ニコッと笑ってあいさつした。セルゲイは、いつの日か日本に行きたいと言って、花束をくれた。
 「ありがとう。お別れですね、いつか日本語でいっぱいお話しできればいいですね」と三千世が言うと、セルゲイはうなずいて、
 「ロシア語でもね」と言って笑い、去っていった。
セルゲイは、三千世に連絡先も何も求めなかった。下野さんより自分の判断が正しかった、と思う反面、少し寂しくもあった。もう帰路に着くので、花束は、ホテルで飾ってもらうことにした。

 稚内への船旅は、風もなく波も穏やかに過ぎていく。母に会いに行こうと思う。母の期待をことごとく裏切り続けている自分が情けなく、母への罪悪感となってここ十年くらい会えずにいた。ただの事務員でも、いつまでも独身でも、だれにも頼らず一人で元気に生きている、それだけで母は、満足してくれていると信じる勇気がわいてきた。
船上での食事がにぎやかに始まった。三千世は、空いた席に座って、みんなと一緒に本物のボルシチに舌鼓を打った。

 

 三千世は、母に会いたくなった。極北の光に当たって、気づかないうちに心に張り付いていたこわばりみたいなものが、溶けてなくなったように思うのだった。