黒猫の庭

 山から海から、春の風が吹いてきました。カラスのお父さんは、高いポプラの木の上で、今年も巣作りに励んでいます。巣を作るのに、大きくて太い丈夫な木切れがいるので、いいのがないかと飛びながら下を見ていると、公園の藤棚で、伸びたつるをきれいに刈っているおじいさんがいました。藤棚の周りには、小枝がいっぱい落ちています。カラスはおじいさんに聞きました。

 「おじいさん、これひとつもらっていいですカー」おじいさんは、「いいですよ。いくらでも」と返事をすると、カラスは落ちていた小枝をひょいとくわえ、ポプラの木へと急ぎました。お母さんカラスは、作りかけの巣で待っていたのですが、あんまり遅いので、心配になってお父さんを迎えにやってきました。「やあ、お前カー」お母さんカラスを見たお父さんカラスが、大きな声を出したとたん、フジの小枝は、お父さんカラスの口からヒューッと落ちてしまいました。下にいたのが黒ウサギ。こわごわ穴から出てきたときに、頭の上で大きなカラスが「カー」と大声で鳴くものだから、がたがた震えていると、何かが落ちてきたのです。怖くて、目をつぶって縮こまっていると、「ウサギさん、わたしをちょっとかじって」とその小枝はささやきました。黒ウサギが真っ黒な目を少し開けて見ると、透き通るような緑の若葉をつけた、小さな木の枝でした。こわごわ目の前の小枝の先をちょっとかじってやりました。すると、小枝は「穴をほってわたしを少し埋めて」と消え入りそうな声で言うのです。黒ウサギは穴をほるのはお手の物。上手に小枝を地面に立ててやりました。それが終わるか終わらないうちに、この庭の主が現れました。大きな黒猫です。黒猫に見つかったら、どんなものでも無事でいられません。一日に小鳥10羽、ネズミ100匹、虫を1000匹捕まえるのです。黒ウサギは、一目散に巣穴に駆け込みました。黒猫は、フジの小枝なんか、見向きもしません。動かないものは目に入らないのです。地の上を這うミミズ、カエル、バッタ、チョウから風に揺れる花まで、何でも動くものにとびついて、その大きな重い手でつぶしていくのです。すばやく走るトカゲも大きな蛇も動くとわかると容赦しません。その大きな赤い口でガブリとかみつきます。でも食べることはありません。お家の中でおいしいえさを毎日山いっぱいもらっているので、お腹はすいていないのです。ただグングン力がみなぎればみなぎるほど、ますます心が空っぽになっていくのです。黒猫の通った後は、動くものは虫一匹ありません。だから、庭のみんながせわしなく動きまわるのは、黒猫が昼寝をしているときだけです。

 夏が過ぎ、冬が来て、また雪解けの春が来たころ、黒猫は、張り切っていました。ネズミが雪の上をちょろちょろ走り回るからです。雪深い冬の間は、黒猫は家の中ですることもなく退屈していました。春の訪れを、待っていたのです。雪に埋もれた木々の根や幹の皮をかじるために出てくるネズミを捕るのです。黒猫は雪の積もった真っ白い庭に、重い足跡を残しながら木の根元を見回り、次々と銀色のネズミを捕っていきます。そして黒猫がフジの小枝のところに来たとき、か細いささやきが聞こえました。「やさしいネコさん、わたしを守ってくれて、ありがとう。おかげでネズミにかじられることもなく、生きのびることができるわ」

 黒猫は、生き物をとって、初めてお礼を言われ、どぎまぎしてしまいました。庭のみんなは、黒猫を見ると怖がってさっと隠れてしまうのです。優しい声をかけられ、へなへなと力が抜け、空っぽだった黒猫の心に何かが満たされました。それからというもの、黒猫はフジの小枝に近よってくるものをことごとく追っ払い、フジが丈夫に育つようにまもりました。夏の炎天下、まだ木陰も作れないほど小さいフジのそばで昼寝をしました。黒いビロードのような体にじりじりと日が照り付けます。でもその暑さを黒猫は、我慢しました。しとしと冷たい雨が降る秋の午後、まだ雨宿りもできないほど小さなフジに寄り添って眠りました。雨にぬれた黒いコートから雨のしずくがこぼれます。夜に庭に出て、黄色い月にフジの小枝の無事を祈りました。黒猫は、月の光につつまれ黄金にかがやいています。庭のみんなは、黒猫のかわりようにただただ驚くばかりでした。黒猫は、相変わらず動くものを追いかけていましたが、おどかすだけ。相手が逃げていくと追いかけることもしないで、退屈そうにあくびをするのです。

 それから、また春が来て、やっとフジが小さな花の房をつけました。それは黒猫の目の色と同じ、きれいな青紫色の花でした。風にゆらゆら揺れながら、黒猫の柔らかな体をなでています。