人は変わる ― (3)戦略が変わるプレーヤー

目標から行為を組み立てる

私たちの日常は、ほぼ習慣の上にある。朝起きてから眠るまで、繰り返される行為の数々は、よく知っているおなじみの行為である。しかし、すべてが、漫然と判で押したように繰り返されているかといえば、そのようなことはない。
今回は、何か心に一つの情景を描いて、それが現実に起これば定めし自分に満足を与えてくれるだろうと考える場面を考察しよう。夢とか理想と呼ばれる段階から目標、さらに目的へと変わるには、何が必要なのか?

「私は、その夢の実現のために、今、何かしたいのである」

例えば、漠然と幸福になりたいと考えても、そのために何をすればよいのかわかっていない。自分が思う幸福が、どのような状態がよくわからず、具体的な行動に結びつかないのである。そこで、幸福を構成すると思われる要素を列挙してみると、ある程度の収入(お金)、良き伴侶や仲間(人)、健康などを獲得することを考える。高所得を得られる可能性のある仕事に就く、そのためにどうするか、・・・つまり、目標を明確化しつつ、その目標を達成するに当たっての合理的な行為を選択する、それが達成すればまた、ということを順々にする。夢の実現は、そのようにすれば成功するという考えで出発しても、しかし現実的には、自分が望む最善をあきらめ、あまり望まない次善の選択を強いられていくことになることが多い。
あるいは、すでに目標がはっきりしているという場合、例えば職業、進学する大学、どの人と結婚したいか、具体的に決まっているのでそのために有効と思える方法を見つけて実行する。
そして、それでも現実は厳しいので、上で述べたようなことが起こる。よしんば、努力の甲斐あって首尾よくその職業につけた、大学に合格した、思う相手と結婚式を挙げた、として目標を達成するための具体的行為の選択が実を結んだというだけで、その直後から「私の幸福」追求への新たな局面に立つことになる。

行為の起点から終点までの一つの一連の流れを「目的を遂げる行為」の切片ととらえるなら、人生は、小さな切片をいくつもつなげて幸福にたどり着こうとする過程といえる。
心に浮かぶ曖昧な漠然とした夢に対して一歩を歩みだそうとするとき、小さな目的をそこから切り取らなければならない。本当の目標というのは、具体的な行為選択を超えたところにあるのだが、それをじっと眺めているだけでは、何も行為に結び付かない。今までと同じ行為の繰り返しをするしかない。何か新たな行為の始まりにもっていくためには、現在の考慮・逡巡をいったん中止する必要がある。そして具体的な目標を立て、それを遂行するための行為・手段を見つけるのである。現実に自分が求めるもの、それの獲得のために自分が利用できるものを明らかにし、配列・組み合わせて利用できる手段とするめどが立つことで、ようやく行為の起点に立つことができる。
大きな漠然を、小さな具体的切片にするので、本来的に自分の求めること、そのものずばりではないかもしれないし、方向も少しずれているかもしれないのだが、それからしかスタートできない。
小さな切片(行為)の目的にたとえ失敗したとしても、本当の目標への道は、断たれるということではない。なぜなら最初の小さな切片の切り取りが、それほど「的を得ていた」かどうか、わからないからである。ただその時、夢の到達への方法として、下位の目的を仮に想定しただけなのである。
過去の習慣によって作り上げられた現在の状態・条件、その中で目標を作り上げ、それのために、今自分にある何が夢の実現に利用できるのかを考える。そして、何か具体的と思える目的が想定できたとき、ある行為の起点に立ち、終点を目指すことになる。
入学と卒業、その後は、また別の小さな行為の起点へと移るという具合に大きな漠然とした目標の方向へ針路をとりながら小さな行為の切片をつないでいく。
行為の目標は、もちろん夢の実現だけとは限らない、現在直面している問題の解決など、すぐに手に入りそうもない困難な事であればあるほど、より細分化して歩む必要がある。細分化された小さな行為を正しくつなぐためには、幸福の方向を見誤らないための指針が必要となる

過去の経験

じっとして考えをただめぐらすことに終止符を打って、新たな行為の出発点に立つのに、過去の経験、つまりかつて自分の試みた行為の結果とその検証が役に立つ。活動したいという本来持っているエネルギーを、ただの熟考から、実際の行為(切り取ろうとする小さな行為)に目標を与え、意味や価値を見出すことにむける。過去の成功・失敗が必要なのは、現在の問題と同じものではないが、そこから想像力によって現問題と向き合うための工夫・技術が生まれて後の流れを作るからである。目標の設定と、それに役立ち利用できるものを見つけ出し、行為の完遂までのプロセスを組み立てること、そのことによって目標の達成に至ることができる。そして、小さな行為の起点終点を通り越したところに漠然とした見込み(目標)があるので大きく方向を間違うことがない。
例えば、お金持ちになるという漠然とした目標があっても、窃盗などの犯罪によって大金を得ようとするような間違った手段を選ばずに済む。なぜなら「お金持ちになりたい」は、お金持ちは幸福であるという思いに基づいて、幸福になるという目標のために切りとった下位目標であるので、犯罪者になることは、幸福とは相いれないからである。
行為の選択に指針を与えるのは、一つ一つの具体的行為よりもっと遠くにある目標なのである。

目的を達成するために、現在自分が持っている条件を見渡し、その中から手段として使えそうなものを選んで組み立て、使えるものにするのに過去の経験から得た知見だけでなく、想像力やある意味、情動的な瞬発が必要だ。しなれたことだけを繰り返すよりは、ずっと思考力がいるのかもしれないが、ただ、何か問題にぶつかったとき、何かを得たいと思う時、強い情動をもって考えを進める中で、さらに考えが深化し、その延長線上で、今までにはないひらめき、新たなレベルの思いつきが心に浮かぶことがある。そして、さらに目標と手段を掌に乗せて熟考し続けていると、今までの思考からは出てきそうもない突飛な、全く新たな考えが生み出されたりすることもある。
私たちは、目標に合致するように思考レベルを深化させることをmodification (モディフィケーション)、全く新しい発見(ひらめき)をexpansion(エクスパンション)と名付けた。

協調への志向と行為

自分がしたいと思うことをせず、今までしてきたことをただ踏襲するだけより、行為を選択し、やってみてその中で考えが深化し、ひらめきを得て新しいことを発見する、そのことを通じて行為が変化していくのは、長い目で見れば「自己実現」への確かなプロセスなのではないか。
本論文では、上記の着想からヒントを得て、テーマを「自己実現」から「協調的社会への志向」に置き換え、個人における協調のレベル・度合いが深化して、さらに発見を得て行為が変化するなら、協調の全体量がどのように変化するかを考察した。
プレーヤーを分ける。生まれ持った戦略を全く変えないタイプと、戦略を変えることが組み込まれているタイプに大別した。戦略の変化するタイプは、さらに協調のレベルにおいてmodifyのみか、あるいはexpandもできるタイプの二つに分けた。つまり戦略を全く変えず、もし戦略がTFTならずっとそのままのプレーヤー、次に、戦略を変えることができるプレーヤーをさらに二つに分け、一つは、より協調の度合いを増していけるが、その程度には限度があるタイプ、そしてもう一つは、協調の度合いを増し続け新たなものを生むことができるタイプのプレーヤーとする。「新たなもの」を、ここでは条件が整えばより高次な協調のレベルに到達できるということで示した。
シミュレーションで得た結果は、おおむね次の通りである。
全プレーヤーが、戦略を変えない場合は、協調の出現率は、最も低く、戦略を変えるプレーヤーがその比率を増すと協調の出現率も増加し、さらにそれがexpandもできるなら、協調する可能性が増す。

協調の出現率の高さと、個人的な行為における満足とは、一見、何ら関連がないように見える。しかし目標を定めて手段を選び行為を遂行するプロセスは、個人的行為ではあるが、過去から未来に至るまで他者との関わりの影響を受ける。遠い目標に向かって自らの行為の選択、手段、方法を逐次工夫しながら変化させようとする姿勢は、きっと、より自分らしく充実した人生を送るために必要なことだと思う。本論文は、他者との協調を目指す方向と個人的な満足を目指す方向がなんとなく重なるのではないかという直観に基づくものである。